真空という世界の小さなコラム
真空の世界|仏教編
真空という言葉は本来、仏教用語でした。英語のVacuumでの真空という意味合いは、元々の真空という言葉の後で日本に生まれました。では仏教用語でいう真空とはどういう意味合いを持つ言葉なのでしょうか?これは私もまだきちんと説明することは難しいですが、真空という世界に携わる人間として、自身のメモがてらまとめてみようと思います。お時間あればお付き合いください。
色即是空の世界
ご存知ですか?ご存知ですよね?色即是空。そう般若心経に出てくるこの言葉。「色、即ち是、空なり」です。これは仏教の根本教理と言われています。この世のすべてのものは恒常な実体はなく演技によって存在するという仏教の基本的な教義です。色とはルーパ、空とはシューニャ。目に見えるもの、形づくられたもの(ルーパ)はすべて、実体として存在せずに時々刻々と変化していっているものです。だから不変なる実体は存在しないのです(シューニャ)。ここで大事なのが、だから不変なる実体は存在。これが空であるということです。空間でも事象でもなく、考え方なんですね。空。
空が真空になるには?
先に真空(仏教)をwikipediaさんでお調べいたしますと、真空とは、部派仏教でいう涅槃のことでありますと、書かれています。また、真如の理性は、一切の迷いによって見られる相を離れているから真空という、という一文も書かれています。涅槃?真如?相?どういう意味ですか??ああ、わからない。そうなると思いますので、もうひと辛抱お願いします。涅槃とは、サンスクリット語でいうニルヴァーナの和訳でして、仏教における概念のことをいいます。その概念とは何なのか?それは解脱であり、輪廻からの解放と終了という悟りの領域に近づいた状態のようです。そして、真如とは、あるがままであることを意味しています。そして相、これは仏教用語で認識されるものと言う意味合いで用いられています。なので真如の理性は、というくだりの文章もまた、形あるものからかけ離れた状態ということを真空と呼んでいるようです。なので、心空っぽで、暮らしているこの状態を真空と呼んでいるといえるでしょう。
真空(仏教)=真空(Vacuum)?
宮沢賢治の作品で真空溶媒という詩があります。副題がドイツ語で、「Eine Phantasie im Morge」でして和訳しますと、朝の幻想ということばになりまして、妄想癖から繰り出される幻想の世界がテンポよく展開していく作品です。この詩なんですが、改めて読み直すと、真空という言葉は、科学で用いられるVacuumの意味での真空と、仏教用語である真空と、この2つの意味合いを用いてつくられたものではないのか?と感じてしまいます。ぜひ、お時間あればお読みいただければと思います。ナニモナイ真空と、何かを成り立たせる真空。この2つの意味合いが共存しているといえるのではないでしょうか?
話がそれましたが、真空とはどちらの意味もわかっているに越したことはないようです。だからこそ、Vacuumの和訳に真空を用いたのでしょうし。ということで、またお会いしましょう。